夢は叶う。こともある。
もちろんすべての夢が叶うわけではない。
そんなことはアラフォーまで生きていれば理解できる。
でも、ここまで生きていたからこそ叶うこともある。今回はそんな話。
私は中学生のころからのお笑い好きだ。
どのくらい好きなのかというと、中学時代はお笑い番組をひたすら録画し、何度も繰り返して視聴し、ネタを完コピできるまで過剰摂取していたほどである。
(現在では用法用量を守って健康的に笑っている)
当時はVHSしかなかったので、私の部屋にはお笑い番組を録画したビデオテープがびっしりと並んでいた。全盛期のTSUTAYAかGEOかと思うほど、所狭しと並んでいた。
まだ発売される本数の少なかったライブビデオも取り揃えていたので、おそらくあのころの福岡県春日市(地元)では一番の品揃えであっただろう。
母が「これでごはん食べてね」と渡してくれたお金で、スティックパンを買い、残ったお金でせっせとビデオテープを買っていた。青春とスティックパンはよく似合う。
福岡吉本のライブもよく通っていたので、スティックパンを片手に若手時代のパンクブーブーのおふたりとも談笑させてもらったことがある(当時は別々のコンビだったけれど、そのころから群を抜いておもしろかった)。福岡吉本出身のバッドボーイズやどりあんずも、いまでもたくさん活躍してくれていて、デビュー時から応援し、彼らが手売りするライブチケットを買っていた古参ファンとしては誠にうれしい限りである。
隙あらば古参語り。古参主張は台所のコバエぐらいうっとうしい。許して。
「お笑い芸人」全体を箱推ししている生活だが、なかでも尊敬してやまなかったのが、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)と、ネプチューン、フォークダンスDE成子坂、ラーメンズである。
特に海砂利にいたっては、学園祭や営業に駆けつけたり、番組にお便りを送りまくったりと熱狂的に推していた。ライブレポを「薄い本」(同人誌)にして頒布し、彼らの魅力を布教する日々。
海砂利の同人誌を読みたいのに、世の中に存在していないので自分で書いて本にして楽しんでいた。いま思えば、涙ぐましいマッチポンプである。
このとき培った「ほしいものがないなら、自分でつくればいい」精神は、いまの起業にもつながっているので、推しを推す力は人生をも推進させてくれるのだ。
出演番組宛に、応援のお便りを熱心に送付していた甲斐あって、海砂利水魚のサインのほか、貴重なグッズ(熊本企業のテレフォンカードや、テレビ九州の番組「ふるさとBANBAN!」のカレンダーなど)がたくさん集まっていった。
有田哲平さんも上田晋也さんも大好きだったが、恋人にしたいのは上田さん一択。頭の回転が早く、聡明で博識でおもしろい。こんな方と交際できたら、どんなにすてきなことだろうか。
交際するのはエベレスト無酸素登頂くらい困難だとしても、せめて会話くらいはしてみたい。言葉を交わしてみたい。それが夢だった。
しかし、すでに上田さんは雲の上の存在。
会話することはおろか、視界に入ることすら難しかった。
「私もお笑い芸人になれば会えるようになるのでは?」と血迷った時期もあったが、おどろくほどセンスがなかったおかげで福岡吉本のネタ見せでスベり、無事に諦めることができた。
現場ですさまじい勢いでスベったことは覚えているのだが、その前後の記憶がほとんどない。交通事故で記憶喪失になる人はいるが、スベりすぎても記憶喪失になるらしい。これってトリビアになりませんか?
福岡吉本のスタッフのみなさま、その節は本当にありがとうございました。
痛いお笑いファンぶりは少しずつマシになっていったものの、上田晋也LOVE熱は、あんかけラーメンくらい冷めることなく、大学生になってからも「好きなタイプは上田晋也さん」と公言しては、理解の得られない日々を送っていた。
そのくらいに熱望するも、あいかわらず上田さんに会えることもなく、また上田さん似の人とすら交際することも叶わなかった。
それほどまでに上田さんは唯一無二。天上天下唯上田晋也独尊。
その後、うつ病で数年療養していたときも、お笑いは私を救いつづけてくれた。笑える心は失っていたが、テレビを通じて笑わせようとしてくれる姿が支えだった。きっと上田さんご本人だって生きていれば嫌なこととか、しんどいこともあるだろうに、元気な姿で活躍しつづけてくださって感謝しかないです。おかげで助かりました。
就職し、転職し、広告業界に入ったあとも「上田晋也さんと仕事できそうな案件」を待ち望んだが、京急電鉄チームに入れてもらえることもなく、ただただ時間だけがすぎていった。
念のため申し添えておくが、私は著名人に会っても特に騒いだり、興奮したりはしないタイプだ。
広告の仕事をしていると、モデルや俳優、アイドル、アーティストなど、さまざまな方とご一緒できる機会がある。けれど、おたがいプロとして現場にいるわけで、おなじ人間同士「きょうもよろしくお願いします」くらいのニュートラルな気持ちと、あとは「出演してくださってありがとうございます」との感謝の気持ちで接している。
緊張はすれど、興奮はしないのです。いちいち興奮していたら仕事にならんだろ。
そんな!
私が!
ついに!
上田晋也さんと!
会話することができたんですわ!!
人生急展開の大興奮!!!!!
人気番組『上田と女が吠える夜』に出演します(放送日は2022年10月26日)
なんと、共演……。
推しと共演できる世界線ってあったのよ……もう嗚咽もんですよ。
うつ病で瀕死だったとき、生きるのを諦めなくて本当によかった。
願っても叶わなかった、長年の夢。
それが急に思いがけない方向から叶うこともあるらしい。
感慨が深すぎて、秋も深まって、ふかし芋がホクホクでうまくて松茸ごはんがホカホカ……(混乱)
出演が決まってからというもの、現実感がなく、いま私が生きているのはリアルな世界なのか、メタバースなのか、夢女子の妄想なのか、脳がバカになってしまっておりました。当日を思うだけで心拍数があがりすぎて、アップルウォッチが「大丈夫?」と心配してくるほどに。
なのに……私は……収録前日にギックリ腰を激烈に悪化させてしまい……前夜は歩くことすらできないありさま。自分の尻も、自分で拭けない。トイレにいくたびにウォシュレットで洗って、フェイスタオルで尻をペシペシ叩いて拭く始末。
それでも、絶対に収録にはいきたい。下半身が動かないなら匍匐前進でもいい。この機会を逃したら、もう二度と上田晋也さんと人生が交差する瞬間はないだろう。
「もうこれで終わってもいい。だから、ありったけを」の精神で、収録当日は朝から病院にいってブロック注射をぶち込んでもらい、痛み止めを処方され、整骨院でテーピングと骨盤ベルトをしてもらい、なんとか歩行できる状態まで回復(麻酔と薬がキマっているともいう)
ドタバタしたまま収録を迎えたため、緊張する隙がなく、あれよあれよというまに上田晋也さんが目の前に降臨された。
近い。近すぎる。おなじ空気を吸っている感がすごい。ハイビジョン映像なんて目じゃないくらい、高精細な上田さんが直で脳に入ってくる。リル・ニトロより刺激的で脳がしびれる。
現実感がなさすぎて、ギックリ腰の痛さも忘れるほど。上田さんという銀河の前では、私の腰痛なんてミドリムシよりもちっぽけなことだ。
生の上田さんは、私のアホな話も頷きながら聞いてくださるほどに、やさしさがすさまじい。私の声がお耳に届いている……交信できている……と感激。宇宙に発したアレシボ・メッセージに、宇宙人から返信があったかのようなおどろき。
共演のみなさまに圧倒されて喋れていなかったときには「坂田さんはどうなの?」と話を振っていただき、さらに感激。
推しに!名前を!呼ばれている!!??
もうよくわからん、この世界。五体投地でありがとう、世界。
収録では敬愛する、いとうあさこさんもご一緒でDVD作品「天真爛漫 一度おさわがせします」をツラいときに視聴しまくっていた私としては、感慨がマリアナ海溝の深み。
収録前にはファーストサマーウイカさんとも一瞬だけお会いできて、土手ガール(ANN0民)光栄の極み。ウイカさんのビューティーパワーにニフラム効果で消えてしまいそうだったけれど、上田さんへの愛で生き残れた次第。
みなさんについて書いていったら歴史巻物くらいの長さになるので自重しますが、本当にこの番組は好きな人が出すぎてて、好きが渋滞しがち。
小仏トンネルの先頭くらい、毎度おなじみの大渋滞。
好きぃぃぃいいい!(デカボイス)
『上田と女が吠える夜』スタッフのみなさま、呼んでくださってありがとうございます。走馬灯に出てくること間違いなしの、最高の時間でした。心から感謝しています。
※ちなみに上田さんは「楽屋挨拶はいらない派」なので、収録以外では会話しておりません。推しの意思と幸せが、なによりもたいせつです。
そんなわけで、ぜひ『上田と女が吠える夜』見てください。
共演のみなさんの話も、めちゃたのしかったです。
夢叶ってる状態の坂田(ギックリ腰)も見てやってください。
最新話はTVerで、過去回はHuluで配信されています。
いい人生だ。
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読んでくれてありがとう、またね!
I’m still alive , and i love u.
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